中島敦の「山月記」は、高校の教科書に掲載されています。ほとんどの人が、なんらかの記憶があることでしょう。
しかし教科書に載っている、というだけで、拒否反応が起きてしまうのも確かです。それではもったいない。
大人になって読み返してみると、自分の経験とすり合わせたり、読み落としていた一文に胸を衝かれることもあります。
いい文章というのは、常に新しい発見があるものだと思います。それは自分の変化による化学反応であって、文章そのものは、なにも変わっていません。それが「古典」の価値ではないでしょうか。
「山月記」は、そんな一冊です。
目次
あらすじ1)優秀さゆえの相克
玄宗皇帝の唐の時代、科挙に合格した李徴は、その博学さと頭の切れの良さが、広く世間に知られいてました。
ところが、もともと人となじめない性格の上、自分の能力を信じていた彼は、さっさと故郷に帰ってしまいました。自分より能力もなく俗にまみれた上司に仕えることなど、できなかったのです。
彼は詩を書いて、その名を百年、歴史に残そうとしました。しかし、名声は一向に上がりません。生活も苦しくなり、美少年だったころの面影は見るも無残に変わっていきました。
数年後、とうとう彼は妻子のために、再び地方官吏となりました。そこでの彼は、自分より劣ると見下していた連中の部下となり、自尊心をいたく傷つけられたのです。
一年たったある夜、出張先の汝水で発狂、そのまま行方知れずになってしまいました。
あらすじ2)旧友との出会い そして虎の独白
翌年、袁惨という官吏が、広東省あたりを朝早く通りかかりました。
すると一匹の虎が叢から飛び出し、袁惨に飛びかかろうとして身を翻し、元の叢に隠れました。
「あぶないところだった」という虎のつぶやきに、袁惨は、李徴の声と確信しました。
李徴にとって、温和な袁惨は、数少ない友人だったのです。袁惨は素直に友との再会を喜び、李徴もまた、この友人に虎となった経緯を語ります。
一年前、夜中に誰かに呼ばれたこと。その声に招かれて山を走っていくうちに虎になっていたこと。自分は懼れ、死のうと思った。しかし、目の前に飛び出した兎を見ると、人間の心は消え、兎を食べた。
虎になっても一日のうち数時間、人間の心が戻ってくる。
そんなとき己の残虐な行為と運命を振り返って、恐ろしく、憤ろしくなる。そのうち人間の心は、獣としての習慣に埋もれてしまうだろう。そのほうが幸せになれるだろう。
だが、それがとても恐ろしい。自分が人間だった記憶が無くなるなんて。
あらすじ3)虎になった李徴の願いと自戒
李徴は、旧友、袁惨に、頼み事をします。袁惨の律儀さを知っているからこそです。自分が心を狂わせてまで執着した詩編を、後世に伝えてほしい、というのです。
袁惨は、部下に虎の暗唱する李徴の詩編を書き取らせます。袁惨は、その詩にはどこか欠けたものがある、と感じます。
なぜこんな運命になったのか、李徴は思い当たることを、袁惨に語ります。詩を極めようとしながらも、師に就くこともことも、誌友と切磋琢磨することもしなかった。
臆病な自尊心と尊大な羞恥心のせいである。この尊大な羞恥心が、おのれの虎だったのだ、と。才能のないことが露見してしまうという卑怯な危惧と、刻苦をきらう怠惰。それが俺だ、と。この空費された過去を誰かにわかってもらいたい。
しかし、月に咆えても懼れられるばかり、、
最後に、李徴は「妻子の面倒をみてほしい」と、頼みます。そして自分が虎になったことなど、決して明かさないでほしい、と切に願うのです。李徴の願いをすべて叶える、と約束した友に「帰りには、ここを通るな、そのときは襲い掛かる恐れがあるから」と、言います。
そして、もう一度「我が醜悪な姿を見せよう」と、離れてから姿を現し、咆哮して叢の中に入っていきます。
説明不要の明晰な文章の背景に、漢字の力
この文章の特長は、意味の明確さにあると思います。それは漢字の使いかたにあります。漢字は「意味を表す文字」です。説明は要りません。物語のポイントがしっかり漢字で示されていて、迷いがありません。
34歳という若さで死んだ作者、中島敦は江戸時代から続く儒学者の家系です。漢文には、幼いころから馴染んでいたことでしょう。
この小説の、人が虎になるというテーマは、中国の説話集「人虎伝」によるものだそうです。しかし、素材になった説話と異なるのは、「虎になった理由」。ここが、作者のテーマとなっています。
それをズバリと言い切っているのが「臆病な自尊心」そして「尊大な羞恥心」。この言葉は対義語の組み合わせです。
一見すると「臆病」と「自尊」、「尊大」と「羞恥」は、共存しないように思われます。
しかし、そうした矛盾こそ、人が抱える問題なのだ、と気づきます。自己矛盾には、みな苦しんだ経験があるはずです。
「人は誰でも猛獣使いである」という李徴の独白も、それを指しているのでしょう。
さらに面白い組み合わせが「卑怯な危惧」です。ひとはみな、危惧の念を少なからず持って生活しています。ただ、それが「卑怯」から生じたものではないか、という問いは、鋭いものです。
自分のなにかが損なわれることを心配するのは、卑怯だ、と断じています。孔子の「仁」という言葉は、まさにそれではないでしょうか。
本文にあたると漢字の持つ訴求力のすごさを、味わうことができます。
人間と虎、どちらが醜悪か
後半、李徴は虎になった己を「醜悪」と、重ねて言います。しかし、と、私は思います。いったい人間と虎、どちらが醜悪なのか、と。もちろん、猛獣である虎は、人間にとって恐ろしいものです。素手でかなう相手ではありません。ただ、近年の熊騒動をみても、猛獣が人間を襲うには、それなりの理由があります。本能を理解すれば回避も可能です。「話し合うこと」は不可能でも、理論づけはあるのです。
それに比べて人間は、やみくもに人を襲うことがある。本人にすら明確な理由もなく。あるいは私利私欲にかられて。
論語に「苛政は虎よりも酷し」という一文があります。孔子一行が泰山のふもとを通りかかると、墓の前で婦人が泣いている。
理由を聞くと「夫と子供が虎に食われた」という。そこで「なぜここを去らないのか」と聞くと、「ひどい政治がないから」と。「ひどい政治は虎より酷いことをするのだ」と、先生はおっしゃった。漢文学に親しんでいた中島敦が、これを知らないわけがありません。
人を踏みにじり、自身の欲のために利用する。歴史で学んだこれまでの人類の姿。これが人間の本性なら、虎と比較できないほど醜悪です。ここで「本能」とは、なにか、と思うのです。
本来、生命維持のためであった本能が、人間のなかでいびつに増殖し、自尊心や羞恥心、さらには卑怯さを生んでしまった。とすれば、醜悪なのは、そうした心でしょう。
そして思うのです。この小説が発表されたのは、昭和17年。このとき日本は、大東亜共栄圏なるものを掲げて、太平洋の島々や中国を手中にして今氏た。
そこに「尊大」でありながら、いつ反撃に遭うかもしれないという危惧は、なかっただろうか、と。ベトナム戦争では、従軍したアメリカ兵の多くが、ジャングルの中で鳥の鳴き声にすら怯えた、と言います。
この「虎」は、まさに当時の日本人の思いではなかったのか、と。
もちろん、当時は原爆によって日本が焦土と化す、なんて夢にも思わなかったでしょう。しかし、3年後、日本は連合軍から「醜悪」とされたのです。予言が当たりました。
欠けているもの、それはなにか
李徴と対極にあるような、旧友の袁惨。彼が李徴の詩を聴いて「第一級の作品となるのには、どこか欠けるところがある」と思います。
袁惨といえども科挙の試験に合格した英才です。審美眼には長けているでしょう。一級の作品となるには「欠けているもの」とは、いったいなんなのか。ぞれは、永遠の謎です。
しかし、この「なにか」が、人間と虎を峻別するものであることは確かです。人にしかないなにか、とは、いったいなんなのでしょうか。私には、まだわかりません。
本文は「ちくま日本文学 中島敦」(筑摩書房)より