「赤毛のアン」は、これまで何度かブームを迎えました。
まず戦後、村岡花子が初めて翻訳・出版したとき。25年後、1979年、テレビアニメとして放映されたとき。
そして、昨年、朝のドラマで村岡花子がフィーチャーされて、またブームが来ました。
しかし、「赤毛のアン」は、いつの時代も女の子の間では人気の小説です。
ただ、翻訳ものにつきものの、訳者による「解釈の違い」や省略があって、どこかしらで論争があることも、確かです。
牧師の妻になりうつ病の夫を看病しつつアンシリーズを書き、自ら68歳で自死した
ルーシー・モード・モンゴメリの出発点。
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大人になったいま、先入観なく自分の力で読んでみると、また違った魅力があることに驚きます。
単なる児童文学ではなく、奥の深い森のような小説だと感じます。
もちろん、「気づき」は読む人それぞれです。それが文学ですから。
私が、もう一度見返して気づいたことを、何回かでお伝えします。
別のご意見があったら、とてもうれしいことです。
「赤毛のアン」あらすじ ~登場人物とストーリー~
プリンスエドワード島(以後、PEIと表記)のアポンリーで農業を営むマシュー・カスパートとマリラ・カスパート兄妹は、男の子を孤児院から引き取ろうとします。
ところが、やってきたのは11歳の赤毛の女の子、アン・シャーリーでした。
60歳で農作業がきついマシューは、男の子が必要なのにもかかわらず、アンを一目で気に入ってしまいます。
アンもこの村の美しさと、二人の住むグリーン・ゲイブルズという切妻屋根の家が「私の家」と感じます。
厳格で実利主義のマリラですが、マシューの「言い出したら、いつの間にか思ったようにする」性格を知っていて、引き取る覚悟をします。
【プリンスエドワード島にある実際のグリーン・ゲイブルズ(写真右側の切妻屋根の家)】
アンは、想像力が豊かでおしやべりで、頭のいい子です。そしてとても正直です。頑固なところもあります。
そんなアンが引き起こす珍事に、初めは怒るマリラですが、その騒ぎがだんだん楽しくなってきます。アンの失敗を、マシューもいろんな形でフォローします。
ダイアナという「心の友」も見つかり、アンは、すっかり村中の人気もの。ただひとり、初対面でアンを「にんじん」とからかったギルバートをのぞいては。
ギルバートは頭のいい好青年です。謝って仲良くしようとするのですが、アンは許しません。
なぜなら痩せっぽちでそばかすだらけであごがとがっていて、容貌に自信のないアンにとって、赤毛はいちばんのコンプレックスだったから。
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行くところ行くところ、有り余る想像力と行動力でいろんな騒動を巻き起こしながら、アンは美しく成長します。
ときにはボートが沈んで「死ぬかと思った」冒険もして。そして短大で学び、教師の資格を取ります。アンの願いどおり、奨学金を得てさらに学ぶことになりました。
そんな幸せの絶頂で、マシューが死ぬのです。
目立たないけれど、アンのいちばんの理解者で庇護者だったマシュー。アンとマリラは、深い悲しみに襲われます。
さらにマリラは目の病に罹り、グリーン・ゲイブルズを売る決心をします。ひとりでは、この家はとても維持できない、と。
でも同じころアンも決心していたのです。大学には行かない、マリラを独りにしないし家も売らない、と。
これからはアンがマリラを守る人生を歩くのです。村の学校はアンを教師として雇うことにします。それはギルバートが自分の職を譲ったから、叶ったことです。ここでアンとギルバートは仲直りします。
実は、もうとっくにアンは許していたのですが。アン、16歳の夏のこと。
これで「グリーンゲーブルズのアン」は幕を閉じます。でもご存知の通り、アンの物語は、まだまだ続きます。
舞台 プリンスエドワード島
「赤毛のアン」の魅力は、なんといってもPEIの自然の美しさですよね。
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アンが初めて村へやってきた六月、小道には500ヤードにわたって雪のように白いリンゴの花が揺れてます。
「ああ、カスパートさん、カスパートさん」と感動して叫ぶアン。想像しただけで、私たちもうれしくなります。
さらにカスパート家には、大きな桜の気が満開です。アンは「雪の女王」と名付けます。
こうして、PEIの花と緑であふれるなか、物語は進行します。
PEIは、カナダ東海岸の島。アメリカ合衆国との国境です。
北海道北部と同じ緯度。初夏は宝石のように美しくとも、冬は雪に閉ざされます。
ジャガイモやトマトが生産され、ロブスターなどの魚介も豊富です。
島が一番美しいときに、アンとマリラの話は始まるのですね。
【プリンスエドワード島(PEI)no:カナダとアメリカ合衆国との国境付近に位置する】
この島は初めはフランス領、次にイギリス領と政治に翻弄され、USAからの侵略にも遭います。
この島の人たちは、そもそも移民ですから強く頑固で、自立精神にあふれています。
イギリスから独立するとき会議が開かれたのも、このPEIだったそうです。
そうした個性豊かでなににつけても一家言ある人たちが、小説にも登場します。
舞台はそっくりそのまま、作者の育ったPEIなのです。
【プリンスエドワード島の様子:写真は Harbourview Dr(アンの家から車で10分くらい)】
これが「アンの物語」は、作者、ルーシー・モード・モンゴメリの自伝と誤解されてしまう理由です。
だから「フィクションに徹してない」とか「予定調和」なんて批判もあるのです。
たとえそうでも、この話には、もっといろんな要素がたっぷりあるのです。
アンとマリラの話
私は、さきほど「アンとマリラの話」と言いました。実は大人になって読み返すと、マリラの偉大さが、胸にしみるのです。
アンがグリーンゲイブルズで大人になれたのは、マリラがいたからです。マシューのために農作業のできる男の子を望んだのに、アンを育てる決心をします。
「長い間、とても穏やかな人生を送ったけれど、さあ、これから私の出番ね。ベストを尽くすのみよ」と、自分に言い聞かせます。
「たとえ年老いた女が初めて子育てをするとしても、年老いた独身男よりいいはず」とも。
年老いて独身で、そんな女が子育てする。それだけで世間の噂のタネになる。
それを百も承知で「わたしの人生」として引き受ける。なんて度量が大きいのでしょう。
人生を自分の責任で引き受ける覚悟を持つ女は、いつの時代も素敵です。
そしてアンのために、どんなことも熟慮しベストを尽くします。
ダメなことは、どんなにアンが泣いても、ダメと言います。
ただ、しっかりした根拠があってのことで、感情ではありません。
子育ての経験のなさを補うため、人に相談もします。あの気位の高いマリラが。
アンが学校に慣れてしばらくしてから、教師に目をつけられて罰を受けます。
理不尽な罰に怒ったアンは「学校に行かない」と登校拒否を決行します。
マリラは悩んで、10人の子育てをしたミセス・リンドに相談します。
このミセス・リンドは、マリラがアンを引き取ったとき、ひと悶着あった人なのです。
しかしリンド夫人のアドバイス通りに、アンの登校拒否を見守るのです。
こうして、かたくなだったマリラも、アンによって自分の人格を開放するのです。
これは、ひとりの女性の子育ての物語でもあるのですね。
アンとマシューの関係
では、アンとマシューのお話は、どうでしょう。
ペンギンブックスの作者紹介では「アンは家族や友達の間で、モードと呼ばれた」とあります。ここでは、それに従います。
アンとマシューの関係は、作者・モードと父の関係を投影していると思います。
モードは幼いころ母に死なれ、父とも離れて母方の祖父母に育てられます。西海岸に住む父とは、15歳のとき一年間だけ一緒に暮らします。
しかし、そこには父の再婚相手の継母がいて、異母弟もいました。アンは学校に行かせてくれない継母と衝突し、一年後にはPEIに戻ってきます。
モードの父親という人は実業家を志すのですが、やることなすことうまくいかないのです。家庭も仕切ることができません。愛する父と別れなければならないつらさは、モードでなくともたまりません。
しかも、一度出たモードを、引き取るかどうかで、PEIの祖父母も揉めたでしょう。そのあたりが、スムースにアンがカスパート家に引き取られなかった経緯に反映されているかもしれません。
「私をコーディリアと呼んで」と、アンは初対面のマリラに言います。「だって、とても品のいい名ですもの」と。
コーディリアとは、シェークスピアの戯曲「リア王」で、愛する父に誤解されて死ぬ悲劇の王女です。
こんなところに、父に対するモードの思いがこもっている気がします。
マシューは、いつでも自分を陰から庇ってくれ味方してくれる理想の父なのです。
チョコレートを買ってきてくれたり、マリラが許さないパフスリーブのドレスを買ってくるのです。
人嫌いで、女性をとくに苦手とするマシューが、アンのためになんでもするのです。
厳しいマリラ、甘いマシュー。このコンビは理想の育ての親といえましょう。
でも、現実には、モードの父は一緒に暮らすことなく、彼女が24歳の時に亡くなります。
この欠落感を、小説という形で昇華させた結晶が「赤毛のアン」です。
だからこそ、キラキラと美しいのでしょうね。
今回は、ここまでにします。お読みいただきありがとうございました。
ぜひ、完訳本を手に取ってください。
続編はこちら↓
「赤毛のアン」名言と花たち
引用はすべてペンギンブックスからの拙訳です。