梅崎春生の「幻化」が描く、坊津
人はなぜ、旅をするのだろう。
日常からのエスケープ、見知らぬものへのあこがれ、
はたま懐かしいものとの再会。
戦争作家、梅崎春生にとって、坊津(ぼうのつ)への旅の目的は、なんだったのでしょうか。
次の一文は、「幻化」で主人公の五郎が、耳取峠を登り切ったときの描写です。
「忽然として視界がぱっと開けた。左側の下に海が見える。すさまじい青さで広がっている。右側はそそり立つ急坂となり、雑木雑草が茂っている。その間を白い道が、曲りながら一筋通っている。」
いまも、坊津への道は、こうです。
「耳取峠」から、まるで海へ落ちていくような下り坂。それが坊津への入り口です。
「甘美な衝動と感動が、一瞬五郎の全身をつらぬいた。
「あ!」
彼は思わず立ちすくんだ。
「これだ、これだったんだな。」」
そして、主人公五郎は、ここで終戦を迎え、解放されて初めて見た風景であることを、思い出します。
私たちも、初めて見る光景なのに、こう思うことがありますよね。
土地の霊との交信、とでもいいますか、そんな瞬間が、旅にはありますよね。
「海が一面にひらけ、真昼の陽にきらきらと光り、遠くに竹島、硫黄島、黒島がかすんで見えた。」
梅崎春生の描写力には、一部の狂いもありません。いまでも、この通りの光景が待っています。
「海」とは、日本海です。しかし、坊津の海は、陽気です。あの北国の海ではなく、明るくのびやかで開放的です。
坊津で、梅崎はなにを見たのか
「幻下」の作者、梅崎春生は、昭和20年に海軍に召集され、坊津に赴任します。
そこから梅崎はすぐ桜島に転勤し、終戦を迎えます。名作「桜島」は、その顛末を描いたもの。
最初の赴任地、坊津は、海の特攻隊「震洋」の秘密基地でした。
そもそも坊津というところは、小さな集落に過ぎないのに、一筋縄ではいかない歴史的宿命を帯びています。
日本に仏教を定着させた唐の高僧「鑑真和上」の上陸地です。
鎖国時代には密貿易の拠点でもありました。
それは大陸に向かって開かれていながらも、海岸線が50キロにも及ぶ複雑なリアス式海岸のせいです。
来ることも隠れることも、密かにできる隠れ港です。
街並みも当然、密貿易にふさわしく作られています。
町を「冥府」と、梅崎は形容していますが、いまでも、その雰囲気は残っています。
倉浜荘は、その典型。
二階の障子を開けると、そこに部屋はなく、一階の土間に飛び降りられます。壁を開くと、隠し部屋が出現します。
これらは「ここから逃げて、ここへ隠れる」ための仕掛けです。
実は、梅崎が坊津を訪れたのは、戦後20年たってからです。
そして、ここを舞台に小説「幻化」が誕生し、最後の作品となりました。
「どうしてもこの土地を見たい。ずっと前から考えていたんだ。今は失ったもの。二十年前には確かにあったもの。それを確かめたかったんだ。」
主人公の叫びは、梅崎の叫びです。梅崎春生は、何を確かめたかったのでしょう。
短い坊津の赴任中に、失った何があったのでしょうか。
さて、
物語は、「幻化」で重要な役割を担った「ダチュラ」の話に進みます。
その前に、坊津の海や集落の光景をお楽しみください。
幻想の花、ダチュラ
「幻化」には、ひとつの花が象徴的に出現します。
「白い大きな花をぶら下げた、南国風の木がある。その花の名は忘れたが、色や形には、たしかに見覚えがあった。」
その花の下で、主人公は不思議な女と出会います。
その女との会話で、坊津で水死した戦友「福」を、さらに棺に、その花を詰めたことを思い出します。
それが熱帯植物、ダチュラなのです。
高さ2mほどの灌木に、百合の花を逆さにしたような姿から、エンジェル・トランペットともいわれます。
鹿児島では、珍しくもない路傍の花です。
古いお屋敷には、必ず1本、植えてあったものです。
今年は暖冬ですので、真冬でも咲き誇っています。
実はこの花、幻覚症状を引き起こす怖い植物です。
花岡青洲が、麻酔薬として使ったのも、この種の植物で、
曼荼羅華、とも呼ばれるそうです。
ありふれていながら魅力的で、しかも人を幻覚で惑わす花。
これを知ってか知らずか、主人公は幻覚症状に悩まされている、という設定なのですから、
この小説の構図のすごさを感じます。
あの戦争とは、「幻化」だったのか
坊津の風にふかれて、女と出会って、
水死した「福」を思い出しても、気分は晴れません。
「おれは福に友情を感じていたのか。いや。感じていなかった。あるとすれば、奴隷としての連帯感だけだ。それ以外には何もない。」
たしかに生きるか死ぬかの戦場で、亡くなった人に心を奪われていては、自らも危うくなるでしょう。
しかも、自分の意志にかかわらず強制的に集められた「行きずりの人」です。
では坊津に、何があったのか。
その答えが「人生、幻化に似たり」という梅崎の言葉です。
つらい戦争体験から、梅崎春生が導きだしたのは、その言葉でした。
「行きずりの人」同士なのに、運命共同体なのです。
一庶民が否応なく戦争に巻き込まれ、消滅していく。
それを間近にした梅崎春生にとって、「人生、幻化に似たり」は、心の叫びでした。
それを確かめる場所は、坊津以外にありませんでした。
この言葉はいま、石碑となって、海を見下ろしています。
戦後70年たち、戦争を知らない世代ばかりになりました。
しかし、世界から戦争が消滅する日は、まだ遠そうです。
壮絶な戦争体験を表現した小説は、大岡昇平の「野火」、野間宏の「真空地帯」と傑作ぞろいです。
ただ、その体験から抜けるのに20年もの月日を要し、結論を表明したのは、梅崎春生のみ、といっていいでしょう。
前年には東京オリンピックも開催され、高度経済成長にまい進していた日本で、
ただ梅崎のみは「人生幻化に似たり」と言い放ったのです。
坊津は、それにふさわしい舞台です。
今日も坊津は、千年ひと昔のごとくひっそりと、確かに息づいています。
ダチュラの花も、ゆったりと揺れています。
梅崎 春生(うめざき はるお)
1915年、福岡県生まれ。
東京帝国大学(現・東京大学)
日本文学科卒業。
1945年、29歳で海軍召集。
坊津基地を経て桜島通信基地へ。
そこで終戦。
「桜島」「日の果て」「幻化」
で戦争の悲惨さを小説に残す。
1965年、急逝。
「幻化」が遺作となる。享年50歳。
※本文中の引用文は、講談社文芸文庫「幻化」より