江戸時代から「お伊勢さん」「お伊勢参り」などと親しまれ、いまでも多くの参拝者が訪れる伊勢神宮。
有名な式年遷宮のほか、神嘗祭(かんなめさい)、新嘗祭(にいなめさい)など、五穀の豊穣、国家や国民の平安を祈願する行事も多いです。
そもそも、伊勢神宮には何の神様が祀られているのか、ご存じでしょうか?
【筆者撮影:内宮・宇治橋前の鳥居:朝日(太陽神)と重なるように設計されている】
実は、伊勢神宮は古来から天皇家と深い由縁があり、最高位の神様が鎮座しているパワースポットとして注目されています。
今回はそんな伊勢神宮に関して、以下の内容を取り上げていきます!
本記事の内容について
- 伊勢神宮にお祀りされている神様とは?
- 内宮と外宮が分かれている理由
- 内宮の天照大御神は何を司り、どんなご利益があるのか?
- 外宮の豊受大御神は何を司り、どんなご利益があるのか?
- 宮社やそこに祀られる神様の数や種類
- 正しい参拝方法
【筆者撮影:内宮・正宮近くの御神木】
本記事では、内宮と外宮に祀られる二人の神様のお名前や、ご利益、歴史、参拝方法、宮社に鎮まる様々な神様のことまで、わかりやすく解説していきたいと思います。
それでは、伊勢神宮の神様について語っていきましょう!
目次
伊勢神宮にお祀りされている神様は何の神様?
伊勢神宮の主祭神は2つの柱で、御正宮は2つあります。
- 皇大神宮「内宮(ないくう)」:天照大御神(あまてらすおおみかみ)※
- 豊受大神宮「外宮(げくう)」:豊受大御神(とようけのおおみかみ)
※神職が神前にて名を唱えるときは、天照大御神ではなく、「天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)」と言う
【筆者撮影:内宮・正宮近くの神楽殿】
内宮や外宮の中心は、「正宮(しょうぐう)」と呼ばれていますが、神宮が管理している宮社は125社もあります。
宮社125社とは?
神宮は御正宮にあたる、「内宮の皇大神宮」と「外宮の豊受大神宮」が注目されますが、内宮・外宮内には、さらに118社、宮外に5社の宮社が祀られています。
内宮
正宮 | 皇大神宮(こうたいじんぐう) | ・内宮の中心 ・天照大御神をお祀りしている |
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別宮 | 荒祭宮(あらまつりのみや) | 天照大御神の荒御魂をお祀り | |
月讀宮(つきよみのみや) | ・月讀荒御魂宮(つきよのみやあらおんたまのみや) ・伊佐奈岐宮(いさなぎのみや) ・伊佐奈弥宮(いざなみのみや) |
天照大御神の弟神・月讀命(つきよみのみこと)をお祀り | |
瀧原宮(たきはらのみや) | 瀧原竝宮(たきはらならびのみや) | ・天照大御神の御魂を祀り ・遙宮(とおのみや)として崇敬 |
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伊雑宮(いざわのみや) | ・天照大御神の御魂を祀り ・海の幸・山の幸の豊穣 |
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風日祈宮(かざひのみのみや) | ・風雨を司る ・級長津彦命(しなつひこのみこと)お祀り ・級長戸辺命(しなとべのみこと)お祀り |
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倭姫宮(やまとひめのみや) | 倭姫命(やまとひめのみこと)お祀り | ||
摂社 | 津長神社・大水神社など27社 | ||
末社 | 新川神社・石井神社・川相神社・熊淵神社など16社 | ||
所管社 | 滝祭神・興玉神・宮比神・屋乃波比伎神・御酒殿神・御稲御倉・由貴御倉・四至神饗土橋姫神社・大山祗神社・子安神社 など30社 |
外宮
正宮 | 豊受大神宮(とようけだいじんぐう) | ・外宮の中心 ・豊受大御神をお祀りしている |
別宮 | 多賀宮(たかのみや) | 豊受大御神の荒御魂をお祀り |
土宮(つちのみや) | 大土乃御祖神(おおつちのみやのかみ)をお祀り | |
月夜見宮(つきよみのみや) | 月夜見尊の荒御魂をお祀り | |
風宮(かぜのみや) | ・級長津彦命(しなつひこのみこと)をお祀り ・級長戸辺命(しなとべのみこと)をお祀り |
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摂社 | 度会国御神社・度会大国玉比賣神社・田上大水神社・田上大水御前神社・高河原神社・山末神社・宇須乃野神社など16社 | |
末社 | 伊我理神社・懸神社・井中神社・大津神社など8社 | |
所管社 | 御酒神・四至神・上御井神社・下御井神社 |
宮外
所管社 | 瀧原宮 | ・若宮神社 ・長由介神社・川島神社 ・多岐原神社 |
・天水分神(あめのみくまりのかみ) ・真奈故神を祀る |
伊雑宮 | ・佐美長神社 ・佐美長御前神社四社 |
・大歳神を祀る ・佐美長御前神を祀る |
内宮では天照大御神を祀り、外宮では豊受大御神を祀ります。また、別宮は正宮に深く関わる神を祀っています。
摂社は924年に、延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)に所載され、末社は804年に延暦儀式帳(えんりゃくぎしきちょう)に記載された神社です。
所管社は、御正宮や別宮に直接関わりがあり、衣食住を司る神々が祭られています。
神宮125社は、伊勢市・志摩市・松阪市・鳥羽市・度会郡大紀町・度会郡玉城町・多気郡多紀町・の4市2郡に分布しています。
伊勢の周辺地区の人々は、神宮の神事や祭事、あらゆる行事に深く関わってきました。
長年神を祀ることで、伝統や形式をしっかり継承してきたのです。
伊勢神宮は正式名称ではない!?
みなさんにお馴染みの伊勢神宮ですが、実は正式名称ではありません。
正しくは「神宮」といい、神宮は神社本庁の本宗(ほんそう)とされています。
皇大神宮(内宮)・豊受大神宮(外宮)を中心とする宮の正式名称が「神宮」なのです。
ほかにも「〇〇神宮」など、神宮号を名乗っていますが、伊勢の神宮以外は全て神社にあたります。
ほかの神宮号が多くなり、地が伊勢であったため、「お伊勢さん」、「大神宮さん」、「伊勢の神宮」などと呼ばれるようになりました。
そして、やがてそれが「伊勢神宮」という通称で定着したようです。
次章では、神宮の中心で2つの柱となっている、天照大御神と豊受大御神とは何の神様なのか、具体的に解説していきましょう。
内宮の天照大御神(あまてらすおおみかみ)は何の神様でご利益は何?
【筆者撮影:内宮・正宮(天照大御神が祀られている)】
神宮の御正宮の内宮・皇大神宮に祀られている天照大御神とは、何の神様なのでしょう?
まず、私たちが知っていることとして、「天岩戸の神話」がありますが、それを簡単におさらいしましょう。
天岩戸神話(あまのいわとしんわ)
天照大御神の弟神の素戔嗚尊(すさのおのみこと)は、高天原の大御神を訪ねた。
元々荒々しい性格の弟に、大御神が忠誠心を問うと、いきり立った素戔嗚尊は、破壊・妨害・汚し・馬殺・乱闘と、乱暴の限りを尽くす。
弟の愚かな行為を、怒り哀しんだ大御神は天岩戸にこもり、光を失った世界で様々な災いが起こる。
高天原の神々は、どうにかして大御神が出てくれる方法ないかと話し合い、八咫鏡(やたのかがみ)と八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)で祈祷する。
その後、天鈿女命(あめのうずめのみこと)が雅楽を舞い、神々が囃し立ててとても場が賑やかになった。
その騒ぎが気になった大御神は、岩戸を少し開けて外の様子を見ると、その姿が八咫鏡に映った。
もっと見たくなって岩戸に身を乗り出したところを、思兼神(おもいかね)が大御神の手を引き、力持ちの手力雄神(たぢからおのかみ)が岩戸を開けて、無事にお出になった。
この神話や、名についた漢字の意味からも、「光を放つ神」つまり太陽の神様として崇められきました。
その誕生は、どのようなものだったのでしょう。
天照大御神の誕生とは?
天照大御神の誕生については、古事記と日本書記からわかります。
【筆者撮影:内宮・宇治橋から正宮にすすむ途中の鳥居】
古事記説
国生みを終えられた伊邪那岐命と伊邪那美命が、火の神様である加具土命(かぐつち)を生んだことで、伊邪那美が陰部に火傷を負って亡くなる。
伊邪那岐命は伊邪那美を求め、黄泉の国に行くが、すでに戻ること叶わず引き返す。
その時に、穢れを清めるために体を洗うが、左目を洗った時に天照大御神、右目を洗った時に月讀命(つくよみ)、鼻を洗った時に建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)(素戔嗚尊(すさのおのみこと)が出現した。
日本書紀説
国生みを終えられた伊邪那岐命と伊邪那美命が、最後に天下を治める神として生まれる。
その姿は光華明彩であり、国中を明るく照らし、太陽の神様と云われた。
その光をもって神々の頂点に立ち、天上世界である高天原を治めた。
この2つの話が混ざって、今に伝わっていると考えられます。
天照大御神は何を司るのか?
天照大御神の存在は絶対的なものとして、天上の最高位として君臨しますが、その後はどのようなことが伝えられたのでしょう?
実は、天照大御神は古事記に記された名で、日本書紀には以下のようにたくさんの名があります。
- 天照大御神
- 天照大神
- 大日窶貴神(おおひるめむちのかみ)
- 大日女命(おおひるめのみこと)
- 大日霊(おおひるめ)
- 大日女(おおひめ)
「神御衣(かむみそ)を織らせ、大嘗祭(おおにえのまつり)を行う神」でもあったため、祭祀を行う古代の巫女の反映した神ともいわれています。
そのため、このようにその都度、表記されてきたと思われます。
天孫降臨・天皇制の誕生
天上の天照大御神は、平定された葦原中国に、実の孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を降ろし、国を治めるよう指示します。
その時に携えたのが三種の神器で、皇位継承のシンボルとして代々伝えらえていきます。
- 八咫鏡(やたのかがみ)
- 八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)
- 草那藝之太刀(くさなぎのたち)
瓊瓊杵尊は、出迎えた猿田彦神によって八百万神を従えて、九州日向の高千穂の峰に降臨します。
また大御神からは、天上の清らかな稲を地上でも作るように託されました。
「豊葦原瑞穂國(とよあしはらのみずほのくに)」
これは、”豊かな収穫の続く、瑞々しい稲のできる素晴らしい国”という意味があります。
「天壌無窮の神勅(てんじょうむきゅうのしんちょく)」
これは、”この国は天地と共に永遠である”と祝福した言葉です。
瓊瓊杵尊は玉依毘賣命(たまよりひめ)を妻にし、生まれたのが初代天皇の神武天皇です。
その後、三種の神器は代々天皇に受け継がれ、八咫鏡は御神体として、室内で祀られました。
皇室から伊勢へ
元々、皇室で祀られてきた三種の神器ですが、その中でも八咫鏡は大御神の御神体として、格別に祀られてきました。
「この宝鏡を見るは、我を見ると同じ。常に同じ宮殿の同じ部屋に祀り、斉鏡となすこと」
しかし、第十代崇神天皇の時に、事態は大きく動きます。
この当時、国には疫病が流行り、人々は放浪し、反乱も起こるなど、切羽詰まった状態でした。
「これは、宮殿に祀られた八咫鏡が強すぎるせいではないのか。ここから出せば、災いは治まるに違いない」
そう判断し、皇居以外に鎮まる地を探すことを、皇女・豊鍬入姫命(とよすきいりびめのみこと)に託します。
豊鍬入姫命は、八咫鏡を倭笠縫邑(やまとかさいむら)に磯城神籬(しきひもろぎ)を立てて、この地にお祀りしました。
御神体が鎮座した最初の地として、三輪山・大神神社の摂社・檜原神社が建てられたのです。
伊勢に鎮座された後も、ここは「元伊勢」と呼ばれ、御祭神として祀られ続けています。
元伊勢として愛される三輪山・大神神社の摂社・檜原神社の詳しい情報はこちら
↓ ↓ ↓
奈良県の元伊勢・檜原神社に参拝しよう!御朱印からアクセスまで全部紹介
しばらく御神体はここに鎮座しましたが、御心に叶う地ではないとされ、第11代垂仁天皇の皇女・倭姫命(やまとひめのみこと)が神事を引き継ぐことに。
倭姫命の御巡行は、その場を求めますが苦難を強いられます。
奈良の三輪から三重の宇太・伊賀、滋賀の米原と岐阜の瑞穂を経て、再び三重に入り桑名や鈴鹿を経て、亀山・津・松阪・飯野・多気を渡って伊勢に入ります。
このときに、八咫鏡の大御神はこの地をとても気に入り、「この国にいようと思う」と言ったとされます。
倭姫命は教えのまま、五十鈴川の川上にお宮を建てられたのです。
皇室を出て三輪の地に一旦鎮まり、その後伊勢にたどり着くまで、実に14カ所を伝承されました。
伊勢の地に鎮座することで、あつく信仰され、2000年経った今でも継承されているのです。
天照大御神のご利益は何?
天照大御神は、天上の最高位の神であり太陽の神です。
太陽がもたらすもの、それは地の恵みであり、日々の平穏無事、幸福や成功など、多岐にわたります。
天上から国を守っておられるので、スケールの大きいご利益になります。
- 国土安泰
- 開運
- 勝運
- 福徳
- 五穀豊穣
天照大御神のご利益は、望むもの・願うものでなく、与えらえているものです。
参拝において、これはとても大切なことです。
個人的なお願いがダメな理由は?
私たちは、神社を訪れるとお賽銭をし、二拝二拍手一拝をして願掛けをしますよね。
しかし、神宮の特に御正宮では、その参拝方法は通用しません。
内宮は、個人的なお願いをする場所ではなく、神様に日頃の感謝を伝えるところなのです。
天照大御神は大きな存在で、天上から私たちを見守ってくださります。
そのお礼を伝えられる貴重な地ですから、それを守ってください。
- 自分の名前と住所
- 神様への感謝を気持ちを伝える
二拝二拍手後手を合わせてお伝えし、最後に一拝して終わります。
これが内宮での正式な参拝方法になります。
なぜ天照大御神は女性なの?
天岩戸の神話からも、天照大御神は女神という定説がありますよね。
その根拠はどこにあるか、探ってみました。
【筆者撮影:内宮・宇治橋から正宮にすすむ途中の道】
名称説
日本書記では、その都度、使いわけています。
天照大御神の別称の一つ”大日窶貴神”の”日窶”は、日の女神、”窶”は巫と同義で、巫女だったとも考えられます。
また、”大日女命”と”大日女”では、女(め)が入っています。
”大日霊”の霊は”め”と読み、女と同様です。
他に、女性には姫もつけられています。
神話説
古事記や日本書紀では、伊邪那岐命と伊邪那美命との間に、3人の神が誕生したとされています。
- 天照大御神:女子
- 月讀命:男子(性別は定かでないとも)
- 須佐之男命: 男子
天岩戸の神話では、須佐之男命は天照大御神を「姉上」「女神」と言っています。
通常は男性の髪型にしていなかったこと、機織り部屋での仕事の他、女性と読み取れる記述が多いこと、女性を表す言葉があるなど、たくさんの根拠が示されました。
しかし男性説もあり、神道や他の御神体では、男性として伝わっている地もあります。
伊勢については、天照大御神は女神として祀られているので、女性説が有力になっていきました。
お伝えしてきたとおり、内宮の天照大御神は、天上の最上位の神で皇祖神であり、天皇は子孫ということがわかりました。
ご利益も、「いただいていることに感謝すること」が参拝にあたります。
その神聖なお気持ちで、訪れてみてください。
天岩戸(あまのいわと)は平成という偶然
実はほとんど知られていないことですが、ものすごい偶然があります。
平成の終わりに際し、皇室と縁のある伊勢神宮に祀られた、天照大御神のことを調べたところ、面白いことがわかりました。
平成をちょっと分けてみます。
平を部分で分けると、一(い)、八(は)、十(と)、そして成るで、平成に。
いはと → 岩戸
成る → 閉じられる
岩戸が閉じられた時代、それが平成だったという説です。
大きな災害が続き、いろいろなことが起こって閉塞感が漂うことが多かったですよね。
そんな中、天皇皇后両陛下は各地に行かれ、人々を励ましお労りになられました。
平成という字を覆す、深い御心がたくさんあったと思い出されます。
平成最後の一般参賀では、今までになく多くの方がいらしたとか。
平成の天岩戸を開けたのは、両陛下の御心だったことは、偶然にしてはすごすぎませんか?
そして、平成の後には「天岩戸が開いた新時代が到来する」と考えることもできるのです。
次は、外宮に祀られている豊受大御神は何の神様で、どのようなご利益があるかを見ていきます。
正式な参拝ルートがあるので、注目ですよ!
外宮の豊受大御神(とようけのおおみかみ)は何の神様でご利益は何?
神宮の御正宮の外宮・豊受大神宮に祀られている豊受大御神とは、何の神様なのでしょう?
【筆者撮影:外宮・北御門口から入ってすぐの鳥居】
神宮の説明では、「天照大御神のお食事を司る御饌都神(みけつかみ)であり、衣食住と産業の守り神として崇敬されている」とあります。
この神宮にお祀りされる前のことや、天照大御神のお世話をするいきさつなどを、ひもといていきましょう。
古事記によると、「伊邪那美から生まれた和久産素日神(わくむすび)の子として天孫降臨の後に、外宮の度相(わたらい)に鎮座した」とあります。
また下記のとおり、名称も結構たくさんあります。
- 豊受大神(とようけのおおかみ)
- 等由気大神
- 豊宇気毘売神(とようけひめのかみ)
- 豊受気媛神
- 登由宇気神(とようけのかみ)
- 豊岡姫命
- 大物忌神(おおものいみのかみ)
神名の”うけ”は食物をあらわしますが、食物・穀物を司る女神として名づけられました。
丹波の国から伊勢へ
豊受大御神は天孫降臨で地に降り、その後、丹波で稲作を始めたとされた丹波国の神です。
また、地名にも関わっています。
半月状の月の輪田、籾種をつけた清水戸が、京丹後市峰山町にあることで、その地が”田庭”と呼ばれ、その後は”田場”から”丹波”に変化して定着しました。
伊勢神宮外宮「止由気宮(とようけのみや)儀式帳」に、伊勢に参られた記述があります。
第21代雄略天皇の夢枕に、天照大御神が現れます。
倭姫命によって伊勢に鎮まったものの、あまりにも丁重に祀られたため、周囲が気を遣い、傍女(そばめ)がつくことなく孤独だったようです。
「ひとつのところに、たった一人でいるのはすごく寂しくて、食事が安らかにできない。
丹波国の比治の真奈井にいる御饌の神、等由気大神(豊受大御神)を近くに呼び寄せなさい」と告げます。
そのお告げにより豊受大御神は、天照大御神のお食事を司る御饌都神となったのです。
豊受大御神は何を司るのか?
豊受の大御神は、名にある「うけ」から食物を司り、丹波の国で稲作を行っていたため、穀物を司っていました。
神宮での豊受の大御神の役割は、天照大御神のお食事だけでなく、身の回りのお世話係だったとも考えられます。
豊受大御神の御神慮により、天照大御神は「食事に代表される生活全般の正しい営みが不可欠である」ことを感じ取ったとあります。
豊かな食生活は人々を幸福に導き、大陸との交通が発展して産業の開発も著しくなり、それによって国は栄えます。
国富が充実した時代を創る御神慮こそが、豊受大御神が神宮に参り、天照大御神に仕えた意義であったと言えるでしょう。
豊受大御神のご利益は何?
豊受大御神は、食物を司る”御饌都神(みけつがみ)”で、衣食住など生活全般、さらに産業の守り神として崇められました。
【筆者撮影:外宮・正宮1(豊受大御神が祀られている)】
お役目をみると、以下のようなご利益が得られます。
- 衣食住の諸産業
- 農業
- 漁業
- 開運招福
- 厄除け
国富の充実において、豊受の大御神の御神慮はとても大きいものでした。
生活の平穏、産業の発展に大きなご利益があります。
個人的なお願いは大丈夫?
内宮においては、皇大神宮として天上から大きなご利益を与えているため、個人的なお願いはできません。
それは、外宮でも同じです。
外宮は、衣食住や広く産業の守護神であるため、日頃の平穏な生活や、事業の発展などの感謝をお伝えする場なのです。
- 自分や事業者の名前と住所
- 神様へ日頃の感謝を気持ちを伝える
二拝二拍手後手を合わせてお伝えし、最後に一拝して終わります。
内宮と同じよう、正式な参拝方法でお礼をお伝えしましょう。
個人的なお願いは、別宮で行ってください。
外宮から内宮の順で両宮とも参拝することが大切!
神宮で参拝する場合、必ず守らなければならない順序があります。
神宮での参拝の儀礼として、外宮から内宮の順に詣でるのが慣例とされています。
【筆者撮影:外宮・正宮2(豊受大御神が祀られている)】
「外宮先祭」という言葉があり、参拝に限らず行事などでも、外宮から行うことが習わしとなっているからです。
さらに参拝は、まず御正宮をお参りし、別宮はその後に回るのが正式な順序になります。
- 外宮の御正宮(豊受大神宮)
- 外宮の別宮
- 内宮の御正宮(皇大神宮)
- 内宮の別宮
この時、橋を渡ってから御正宮に行くまでは、境内のお祓い場や施設には行けます。
神が鎮まる場、神聖な場を参拝するときには、正式な順序を守りましょう。
内宮・外宮とも、神域に入る前に橋を渡りますが、その時も決まりごとがあります。
【筆者撮影:内宮・五十鈴川にかかる宇治橋】
- 外宮に架かる橋・火除橋では、参道は左側通行
- 内宮に架かる橋・宇治川橋では、参道は右側通行
鳥居の前では、立ち止まって一礼をします。
また、参道にある手水舎で、必ず手と口を清めてから、御正宮にお入りください。
御正宮で守ること
- 二拝二拍手一礼で参拝
- 日頃のお礼、参拝の機会のお礼を申し上げる
- 感謝の気持ちを伝える
- 個人の願い事はしない
- お賽銭はしない(賽銭箱はない)
- まず御正宮に参拝し、別宮は後で
- 写真撮影禁止を守る
別宮と内宮はかなり離れていますが、両宮とも参拝することが原則です。
周辺を散策しながら内宮に向かうなら、徒歩で約50分です。
外宮からは10分間隔でバスが出ているので、それを利用すれば約10分で着きます。
同様に、タクシーを利用しても約10分で着きます。
御正宮の参拝が中心なら、バスやタクシーでの移動がおすすめです。
周辺の散策は、内宮の参拝後にゆっくり回ってください。
まとめ
これまでのポイントをまとめてみましょう。
- 伊勢神宮の御祭神は2つの柱で、御正宮の中に内宮・外宮がある
- 伊勢神宮には125社の宮社がある
- 内宮・皇大神宮に祀られているのは、太陽の神様の天照坐皇大御神(天照大御神)
- 外宮・豊受大神宮に祀られているのは、食事を司る御饌都の神豊受大御神
- 伊勢神宮の正式名称は「神宮」で、神社本庁の本宗である
- 天照大御神は天上の最上位の神様で皇祖神
- 天照大御神のご利益は国の安定と平和、人々の幸福と安泰
- 豊受大御神のご利益は生活全般の安定と事業の発展
- 御正宮では感謝をお伝えし、まずは個人のお願いごとをしてはいけない
- 神宮での参拝の順序は外宮から内宮で、御正宮から参拝し別宮などは後で
- ルールや順番は厳守する
伊勢神宮は、そこに祀られている天照大御神が「ここに鎮座する」と決めた地です。
その大御神をお助けし、仕えてきたのが豊受大御神でした。
2つの柱の御祭神によって、2000年にわたる本宗の歴史と由来は継承されています。
【筆者撮影:外宮・北御門口から入ってすぐの風景】
天上から国を見守り人々を支え、地上で日常を安定させ、平穏な日々を導いています。
そのことに感謝し、お礼を伝えるために訪れてください。
伊勢神宮は、たくさんのご利益があります。
もし、個人の願い事があれば別宮でお参りできますし、御札や御守もいただけます。
神宮は朝5時から参拝ができますから、早朝の澄んだ空気の中をお参りください。
朝日を拝みながら玉砂利を踏めば、日頃の喧騒から離れて心が浄化されますよ。